プロフィール

1961年 11月、立山町前沢にて生を受ける 新川育ち
1980年 魚津高校卒
1984年 国立新潟大学経済学部 卒
1984年
(株)リクル-ト(現株式会社リクル-トホールディングス)入社
マ-ケティング局首都圏マネジャ-
北関東埼玉所長兼 池袋営業所長、東海中部圏担当名古屋所長
情報誌ビジネス全国市販流通責任者
全国情報誌 流通開拓、物流構築等 31年間在籍
2015年 両親の通い介護10年を経て、立山町浦田へUターン
2017年 立山町消防団(新川分団)入団
2021年 中新川内水面漁業協同組合 理事(執行部会計担当兼事務局担当)
2022年 浦田1区自治会役員
2022年 防災士 ライセンス取得 普通救命講習修了
2024年 浦田1区防災アドバイザー ※防災講習活動10回以上
2025年 新川地区防災アドバイザー 現在に至る
上記の他現在、不動産経営、社会福祉協議会ボランティアなど、
さまざまな活動に従事
立山町、新潟、東京、全国
そして再び立山町へ
チームで体温を上げながら目標を定めて、難度の高いプロジェクトに、圧倒的当事者意識で挑むこと。
先を読んで先手先手を打つ行動力。それが私の持ち味と自負しています。
防災と郷土愛の
「攻守二刀流」で、
立山町に恩返しすべく
寄り添います。
防災士の目線で
令和5年の大雨による白岩川の氾濫は流域に大きな被害をもたらし、令和6年の能登地震での震度5強の揺れは、立山連峰が揺れから守ってくれるという思いを打ち砕きました。立山町が自然災害と決して無縁ではないことを、あらためて痛感させられました。また、近い将来必ず起きる南海トラフ大地震(立山町の場合震度6弱)への備えはまだまだ足りません。
災害に対しては、「起こってから対応する」のでは遅きに失し、「起こる前」の事前の備えが、最も重要です。
私自身は、所属する消防団での活動と併せて、防災士の必要性を感じライセンスを取得し、地区・地域での事前防災の備えの必要性を説きながら、防災活動を継続展開しています。
大規模広域自然災害では、自助共助公助のうち、公助(行政)も被災するため、頼りは自助(自ら備える)であり、近隣の共助(特に災害弱者の方への)となります。
私は、防災アドバイザ-としての知見と、被災経験(阪神淡路大地震、東日本大震災)に基づいた施策を打ち出し、郷土立山町のみなさんの「安心・安全」を守ることに全力を尽くしてまいります。
みなさんと体温をあげながら、攻めの防災で守りをかためていきたいと存じます。

❶講師として10回以上行っている事前防災講習に取り組み続けます。
❷防災メニューとして、わかりやすい自助の備えなどの講習メニューを作成し、広く水平展開を図ります。
❸事前防災メニューは、消防団や地区の担当者が、地区で共有しやすいものにして行きます。
❹防災一次拠点としての地区の公民館に設置する、防災備品選定・導入を監修します。
郷土の山河を愛する者として
数年前、腰を痛めてしばらく中断を余儀なくされましたが、ここ20年ほど登山に熱をあげています。雄山、劔岳、薬師岳をはじめ郷土の山々や、槍ヶ岳、穂高連峰、後立山連峰を時に単独で、あるいは仲間たちと通っています。もちろん安全確保を第一にした上で、手ごわいルートや10時間程度の長い縦走などにも挑戦しています。 私が住む新川からの立山連峰の眺めは素晴らしく、立山町は北半球最南の氷河や称名滝、弥陀ヶ原ラムサール条約指定湿地など、国際的評価の高い自然景観を有し、みなさん同様、誇りの故郷です。
また、中新川郡の白岩川や栃津川、上市川でのアユの放流などにも組合活動で取組んでいます。愛する地元河川での子どもたちの放流体験も行っており、郷土への恩返しとして、粘り強く奮闘しています。
登山、河での釣りの他、富山マラソンやトレランにもチャレンジしてきましたが、アクティブな趣味とは別に、畑作も30年以上長い間いそしんでいます。都会児童の民泊体験・農業体験も受入れたり、ここ数年は同期生の仲間たちと「畑部」結成し、土になじみ、育てる楽しさや苦労、収穫する喜びを四季の移ろいを感じながら分かち合っています。
自然を守り、次の世代に引き継ぐ攻めの粘りの活動、継続してまいります。
リクルート時代の経験を生かして
株式会社リクルートに在籍した31年間、私はさまざまなチームや部門を率い、難度の高いプロジェクトや課題に、チームとともに挑み、成果を上げてきました。
個々の持つ力を集結し、課題を見つけ出し、その解決を図る。
会社勤めで得た経験を、今度は地域のため、町のために、どう活かして行くか? それが、私の次なる課題に他ならないと考えています。













